政策に関らずゲームをインストールする方法
「複雑さ」を克服するには政治にも発想の転換が必要です(大西宏) - BLOGOS(ブロゴス)
政治が混迷し、迷走し始めています。TPP問題にしても、増税問題にしても、与党だけでなく、野党も内部で利害対立が起り、結局は国会内のゲームを繰り返すだけになってしまっています。
この状況が望ましくないと危機感を持つ政治家の人がいても、多数は、ゲームを有利に進めた、あるいは不利になったという単純な政局の結果のほうがわかりやすく、そこに意識が釘付けになってしまう誘惑には勝てません。
頼りない閣僚と、それにまるでクイズのような質問を浴びせる馬鹿げたゲームは最悪でした。追い詰めたと意気揚々としているのでしょうが、自己満足に過ぎず、東北の復興など、重要度が高く、かつ緊急度も高い課題から逃げているに過ぎないと国民の目には映っていることすら気がつきません。
なぜそうなってしまったのでしょうか。複雑さがかつてとは比べものにならないほど増し、あちらを取ればこちらが立たずのトレードオフの関係が入り乱れ、しかも先の予測できないなかでものごとを決定し、政策を進めていかなければならなくなったことに大きな原因があると思います。しかも複雑な調整が必要となればなるほど、決定も実行も遅れていき、政治の停滞が起こってきます。
銀のリボンがプレイステーション2でどこに行くの図たとえばTPP問題は、賛成、反対に湧きましたが、農業問題ひとつにしても複雑です。生産農家も一様ではなく、実際に産業として成り立たせようとしている農家もあれば、稲作での政府補助にすがる兼業農家もあります。農業を近代化、効率化しようとしても、農協の顧客である兼業農家の減少は、農協のビジネスにとってマイナスとなるだけでなく、もし生産側の産業化が進めば、それは流通の短縮化、つまり農協飛ばしが必ず起り、農協の存在そのものを脅かします。また地方に地盤をもつ政治家は、農協や兼業農家は重要な票田となります。そして都市部を地盤とする政治家との利害対立が始まります。
そして、生産側を企業化し、農業の生産性を上げること、またブランド化で、日本の米作と畜産が守れるという保証はまったくありません。そんな実験を過去にやったわけでもなく、やってみなければわからないからです。だから不安が増し、反対の声が高くなっていきます。農業は、今のままでは確実に衰退し自然死することの確実性は高いにもかかわらずです。
経済がグローバル化してきたなかでは、国境を超えた産業活動が伸びてくるために産業界は自由貿易や経済連携などの環境整備を望みます。だからTPPはそういった動きを進めるスタートとして進めて欲しいというのは当然の動きです。TPPを進めなければ、産業空洞化がさらに加速すると産業界は主張していますが、製造業の海外移転がTPP締結で減速するという保証はどこにもありません。もっといえば、いくら法人税を下げても同じ事です。なぜなら海外に生産拠点や開発拠点を拡充する理由は、なにも関税問題だけではないからです。もし、経団連がTPP締結で、それぞれの企業がこれだけ収益を伸ばし、納税額も増やすことができると示すことができればすんなりいくのでしょうが、収益を伸ばすためには関税問題以� �の要素が複雑にからんでくるので約束は不可能です。誰にも先がわからないのです。
さまざまな問題について、先がわからない、予測がつかない,過去の経験や情報、データをいくら分析しても、どれぐらいの効果が予測でき、またリスクがあるのかが読めない、だから現状での利害にすがりつくしかなくなります。
年金や医療問題も、現状の延長線上では破綻することはわかっていても、また年金や医療問題をそれぞれの枠内で解決しようとしても、日本の経済の成長、とくに国民所得が増えなければ根本的な解決にはつながりません。多くの問題が、さまざまな要因が絡らみ、影響しあう時代にはいってしまったのです。しかも産業によって、地域によって、また国民のそれぞれの立場によって、置かれた状況も、ニーズも異なっています。
複雑性を克服するには、マーケティングの世界では、ユーザーの側に製品やサービスの組み合わせの決定権を委ね、対処する方法があります。カスタマイズの発想で、供給側と消費者で決定を分かち合い、ユーザーの利益を最大化しする解決方法です。
スマートフォンの世界を想像してみてください。どのアプリをインストールするかはユーザーの自由であり、それぞれの目的に合わせ、最適なものをユーザーが選び、どれひとつとして同じスマートフォンはありません。
政治も同じことが言えます。あまねく公平で一律の政策では、国民それぞれにとって最大限の受益を得ることが難しくなってきているのです。政治を国から国民ひとりひとりに移していくことで多様な状況、またニーズの違いを埋めていくこともできます。また小さな単位で小さく実験することで、そのようなリスクが生まれてくるのか、なにがうまくいくかも検証していくことができます。
工業化の時代には効率のよかった政治のカタチから、つまり発展途上国としての政治のカタチから、情報化され、多様化してきた現実に対処できる政治のカタチに移行すること、複雑性に対処する処方箋を生み出せる体制移行を日本は急ぐ必要があると感じます。
もはやいくら官僚に優秀な人材がいるとしても、霞が関の能力を現実の複雑さが上回り、問題対処能力を失ってしまっているのです。政治も同じでしょう。
そのひとつの処方箋が地方に権限を移し、それぞれの地方の特徴にあわせた政策オプションを地方が選ぶ、あるいは自ら生みだすことだと思います。もちろん、中央集権から地方主権化を進めることだけで全てが解決できるとは思いません。
複雑な時代への処方箋をもたなければ、利権に縛られた政治、目先の問題に対処する政治、官僚の限界に振り回される政治が延々と続きます。その結果、政治が混迷し、迷走しつづけるのです。制度疲労の典型的な症状です。おそらく民主党は次の総選挙で壊滅的な打撃を受けるでしょうが、政権が再び自民党に移ってもこの状態は際限なく繰り返されていくと感じます。
発想の大きな転換をすべきタイミングがやってきている、そう思います。
東北の復興、消費税問題、年金問題、医療介護問題なども、地方主権化を前提とすれば政策の姿も変わってきます。まずは地方主権、国のカタチの変革について政治は集中して欲しいところです。
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